小淵沢の商工会で地図・名簿印刷。
150枚ずつで大丈夫でしょう!? 恋塚の一里塚、を過ぎたあたりに甲州街道では珍しい現存する石畳があるそうです。 その距離40m程(10mくらいらしいです)ですが、確かに江戸時代の石畳そのものとのこと、ここも楽しみですね。 第6回 上野原宿から鳥沢宿を歩く日まで あと4日 6月16日(月) 9:15 上野原駅集合です。 #
by yatu-kosyu
| 2008-06-12 23:42
| 第6回上野原宿~鳥沢宿
今地図を製作中。あした印刷に行く予定です。
第6回 上野原宿から鳥沢宿を歩く日まで あと5日 6月16日(月) 9:15 上野原駅集合です。 八ヶ岳歩こう会会員の方は1時間くらい前に到着してくださるよう、お願いします! #
by yatu-kosyu
| 2008-06-11 23:46
| 第6回上野原宿~鳥沢宿
上野原宿から鳥沢宿までの間には鶴川・野田尻・犬目の3宿があります。 犬目宿にある「犬目の兵助」の生家のところの看板にはこのように書いてあります。 ・・・・・ここから・・・・・ 天保四年(1833)の飢饉から立ち直ることができないのに、天保七年(1836)の大飢饉がやって来ました。 その年は、春からの天候不順に加え、台風の襲来などにより、穀物はほとんど実らず、餓死者が続出する悲惨な状況となりました。 各村の代表者は救済を代官所に願い出ても、聞き届けてもらえず、米穀商に穀借りの交渉をしても効き目はないので、犬目村の兵助と下和田村(大月市)の武七を頭取とした一団が、熊野堂村(東山梨郡春日居町)の米穀商、小川奥右衛門に対して実力行使に出ました。称して、『甲州一揆』と言われています。 このとき兵助は四十歳で、妻や幼児を残して参加しましたが、この一揆の首謀者は、当然死罪です。 家族に類が及ぶのを防ぐための『書き置きの事』や、妻への『離縁状』などが、この生家である『水田屋』に 残されています。 一揆後、兵助は逃亡の旅に出ますが、その『逃亡日誌』を見ると、埼玉の秩父に向かい、巡礼姿になって 長野を経由して、新潟から日本海側を西に向かい、瀬戸内に出て、広島から山口県の岩国までも足を伸ばし、四国に渡り、更に伊勢を経ていますが、人々の善意の宿や、野宿を重ねた一年余りの苦しい旅のようすが伺えます。 晩年は、こっそり犬目村に帰り、役人の目を逃れて隠れ住み、慶応三年に七十一歳で没しています。 上野原町教育委員会 ・・・・・ここまで・・・・・ 第6回 上野原宿から鳥沢宿を歩く日まで あと6日 6月16日(月) 9:15 上野原駅集合です。 #
by yatu-kosyu
| 2008-06-10 21:35
| 第6回上野原宿~鳥沢宿
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by yatu-kosyu
| 2008-06-06 19:45
| 第6回上野原宿~鳥沢宿
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by yatu-kosyu
| 2008-06-03 19:56
| 第6回上野原宿~鳥沢宿
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